〈本〉「紫匂う」 (葉室麟著)
長距離移動のおともに本棚から選んだ一冊。
久しぶりに再読したので感想を記しておきたいと思います。
「女子は刃で戦わずとも心映えで戦えましょう」
🔳あらすじ
寡黙で温厚な夫・蔵太とのあいだに二人の子も生し、平穏に暮らす主人公・澪。
その前にかつて一度だけ契りをかわした幼なじみの笙平が現れます。藩内抗争に巻き込まれ逃亡した笙平を匿う澪。
義と情の間で心が揺れながらも、自分が本当に生きるべき道を見つけていく女性のものがたりです。
🔳「木蓮のごとく咲く」夫・蔵太の生き方
剣の名手といわれている夫ですが、その日常はむしろ凡庸にもみえ物足りなさを覚えることもあった澪。その変わることない平凡さこそが夫の強さであったことに次第に気がついていきます。
・天の目
息子に俯瞰してものを見ることの大切さを説く場面です。
「ひとが〈天の目〉を持つには、自分が鳥になったと思えばよい。鳥になり、戦う相手と自分を空の上の方から見下ろすのだ。そうすれば自分が何をなさねばならぬのかが見えてくる」
「しかし、勝つことがすべてではない。〈天の目〉を持てば、無用な戦いが避けられ、さらには他勢に無勢で利がないおりは退いて命を全うすることができる」P88
・一息の抜き
笙平を匿い逃避行を続けるなか、蔵太がふと漏らす一言。ひとを追い詰めず、一呼吸置いて接するという蔵太の生き方が滲みでています。
「剣法に〈一息の抜き〉という教えがござる。何事も追い詰めてはならぬ、一息だけ、隙間を空けておいた方がよいとの諭しでござろうか」 P179
・木蓮のごとく咲く
若き日に人々の誤解から非難中傷をうけた日々。妻の点てた一服のお茶を喫しながら感じていた思いが静かに語られます。
「そなたは茶の支度をして、赤楽茶碗でわたしに茶を点ててくれた。茶を喫しながら木蓮を眺めたわたしは心が晴れていくような清々しい思いがした。ひとは得てして思い違いをするものだ。わたしにしてもひとを思い違えておるかもしれぬ。ひとに悪く思われ、陰口を利かれ、ときに罵られても、木蓮のごとくただ黙って静かに咲いておれば、その真はおのずと現れるのではなかろうか、などと考えた」P204
🔳命は預かりもの
藩の咎人である笙平を匿っている澪。その罪が問われることがあれば自らの命を差し出してでも、家族に類が及ぶのをさけるとの覚悟をのべる澪に擁護者・芳光院が語った言葉。
「言うまでもなかろう。そなたは子を生しておろう。そなたの命は母の慈しみで生きておる子らのものでもあろうし、そなたを思う亭主殿にもかけがえのないもののはずじゃ。いや、そなたに関わるすべての者にとって、そなたの命は大切じゃ。そなたが活ける花を楽しみにしておるわらわにとっても同じぞ。自らの命をおのれの思い通りにできると思うたら大間違いじゃ。そなたを大切に思うひとびとよりの預かり物と思わねばならぬ」P114
🔳おのれの心に問う
若き日に決着のつかなかった想いと未練。
そして、その相手を助けたいという情と義のあいだで揺れ動く澪。
藩内抗争に巻き込まれ笙平を助けるために夫と三人で逃避行を続けるなかで、澪は夫の本当の姿に気づいていきます。
それまでの平穏さがどれほど幸せな日々であったのか、夫の愛情がどれほど深かったのかをさとります。
それまでの迷いを夫にも打ち明けます。
「わたしにも迷いがあったように思います。どうすればひとは迷わずに生きられるのでしょうか」
「さようなことはわたしにもわからぬ。ただ、迷ったら、おのれの心に問うてみることだとわたしは思っている(中略)知恵を働かせようとすれば、迷いは深まるばかりだ。しかし、おのれにとってもっとも大切だと思うものを心は寸分違わず知っている、とわたしは信じておる」 P372
自分の心に問い直す澪。
そこではじめて人として正しいことをしているという信念をもつことができ、やがて自分の過去に対する非難に対しても毅然と立ち向かえる強さを身につけます。妻として、母として、女としての矜持をもち生きる澪の姿があります。
🔳読み終えて
代表作「蜩の記」にあるように、葉室作品の特徴は読み終わったあとの清々しさにあると思っています。
本作は女性が主人公ですが、自らの過去に決着をつけ、自分の拠って立つ場所に心をさだめ、毅然とたつまでに変化していく一人の女性の姿がこの作品の主題なのだと思います。
それが次の言葉で印象的に現れます。
女子は刃で戦わずとも心映えで戦えましょうP365
そしてもう一つ印象に残るのは、「心は寸分違わず知っている」という言葉。
自分の心をいつわらず見つめることは勇気のいることです。そこに至るまでには美しいものだけではない、自分の虚飾やおごり、ずるさや汚さにも向き合わねばなりません。
それを経てもなお清々しく生きられたらと思います。
いくつになっても修行ですね。