〈本〉わたしを離さないで (カズオ・イシグロ著)
今朝はイヤな夢をみて目がさめた。
母が亡くなったという夢。
とても近しい人が亡くなる夢をみることが時折ある。目がさめたときにものすごい悲しみと喪失感でぐったりしている。
実際には母は元気でいてくれて、久しぶりに電話をしてみたら今日も父とマレットゴルフにいくのだと楽しそうに話していた。
おそらくこの本がどこかで影響していたのかもしれない。
数年前、ノーベル文学賞を受賞したイシグロカズオさんの著書をはじめて読んでみました。
🔳あらすじ(ネタバレあり)
イギリスの全寮制での学校生活が、主人公キャシーの回想というかたちで語られていきます。
そこにあるのは友だちとの内緒話、いさかいや成長などどこにでもありそうな日常生活が静かな語り口で丹念に描かれています。
ただ、その世界がどこか奇妙にゆがんでいることに少しずつ気がつかされます。
たとえば、この子供たちには親がいないということ。週に一回という頻度で健康診断がおこなわれること。喫煙というのは犯罪に匹敵するという過剰な認識。
読みすすめるにつれ、この子供たちがクローン技術でつくられていること。いずれ臓器移植を提供するために存在していることが明かされていきます。
あらましだけきいていればホラーやサスペンスにでもなりそうだけれど、その事実を知ったうえでもこの小説の静けさはかわりません。
そこにいる子どもたちから感じるのが恐怖でもパニックでもなく、当然のことのように受け入れている諦観だからかもしれません。
あまりにも当然のように受け入れている。
ただ、それが本心ではないことが後半部分で明かされていきます。
🔳感想
読み終えても、自分がどう感じているのかもしばらく分からない作品でした。その世界観だけがながく印象に残っていました。
ただ、臓器移植を繰り返し亡くなっていくこと、それを小説の中では「使命を終えた」と表現していました。それが無性に悲しかった。
他に選択肢のない人生、
将来を夢みることすら出来ない人生、
それをいきるのはどんな気持ちだろう。
もう一方にいるのは、
自分の臓器をおそらく機械の部品を交換するかのように受けとる人たち。
提供する側にも感情や意志があるということを考えてない(考えたくない)人たち。
それでも、提供者としていきる彼らからは憎しみとか怒りという感情は伝わってきません。そもそも他に選択肢がないのだから。生きたいと叫ぶことすら出来ない。
ただ少し客観的にみると、これらの提供者が一方的な敗者ともいえません。
提供された側も一時的に彼らの力を借りて延命できるかもしれないけれど、いずれ訪れる寿命から逃れられるものはいない。
死ぬことだけは100%平等にだれにも遅かれ早かれやってくる。自分に受け入れる準備があろうとなかろうと。
そうであるならば、彼らとどれほどの差があるのだろうか。
臓器移植のために生かされているという特異な環境設定は、他の環境にもおきかえることができるようにも思えます。
たとえば戦時下での暮らしであったり、難民生活であったり、いじめや虐待であったり、闘病であったり。自分が望むと望まざるとおかれた場所。
人が生まれおちる環境は選べない。
そして、一人ひとりがかかえる問題も千差万別。
それでも、いくつもの生命があるなかで人間として生まれてきたというのは何か特別な意味があるように私は思っています。生まれただけで受けとっているギフト。
そして自分が存在する意味がよく分からなくても、自分がおかれた環境のなかで瞬間瞬間を精一杯いつくしんでいきること。そのなかで縁できた人たちを大切にしていくこと。
いまのところ、自分が死ぬときに後悔しないためには、これがすべてなのではないかと思っています。(すでにかかえている後悔もいっぱいあるけれど。)
そんなことをつらつらと考えさせられた小説でした。
それにしても、イシグロカズオさんがノーベル文学賞を受賞した際の受賞理由。何度読み返しても意味がわからない。
壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた
うーむ、わからない。
鬼怒川温泉 「静寂とまごころの宿 七重八重」
温泉に行きたい。
温泉に行きたい。
温泉に行きたい。
頭の中で呪文のように声がきこえます。
せっかくの年末年始9連休なのに、ウカウカとしていたらどこも予約がいっぱい。
「どこかに行きたい」熱が、「せめて温泉に行きたい」熱にとって変わったらしい。
目指すのは関東近郊で手軽に行かれるところ。
観光とかなくてもいいから「ひたすら温泉でふやけていたい」というのが今回の旅のテーマ。
ということで、選んだのは鬼怒川温泉。
週末を利用してはじめて行ってきました。
座席もゆったりしていて快適です。2時間ちょっとで終点鬼怒川温泉駅まで行かれます。
駅弁を買ってたべるのも旅行気分があがって楽しい。
夫がとり釜飯弁当、
私はガッツリ牛肉弁当!
鬼怒川温泉駅に到着したら、いきなり目の前にSLの姿が!!
蒸気をあげる姿にワクワクします。
チェックインできる時間まで一時間ほどあったので、近くの吊り橋まで行ってみることにしました。
鬼怒楯岩大吊橋。
吊り橋のイメージよりは大分立派な感じだったのでちょっと拍子抜けしながらも渡っていくと、思ったよりも橋が揺れるので結構怖い。
勢いにのって、そこから7分という展望台まで行ってきました。
展望台からの景色。
思わぬ運動になりました。
心臓がバクバクです。
さて、本日のお宿は「静寂とまごころの宿 七重八重(ななえやえ)」。
お部屋はこんな感じ。
夕食を食べるのに夢中になり、案の定最初に撮った一枚しか写真がありません。
岩魚のお刺身、はじめて食べました。くさみも全くなく美味しかったです。お料理も一つひとつが丁寧に作られていておいしくいただきました。
こちらは朝ごはん。
この辺りは、湯葉料理も有名なのですね。
宿名に「まごころ」とつけるだけあって宿の方の応対がすばらしかったです。館内もきれいに保たれていて気持ちよく過ごすことができました。
お湯は無色透明な単純アルカリ性なので、ちょっと温泉らしさには欠けるかもしれません。温度はややぬるめなので、のぼせずにゆっくり入ることができます。
機会があれば、また行ってみたいと思える宿です。
翌朝、10時にチェックアウト。
せっかくここまで来ているからということで、日光まで足をのばしてみることにしました。鬼怒川からは一時間もかからず行くことが可能です。
いざ、日光東照宮へ。
どこもかしこも絢爛豪華。
家康の代は、まだ小さな社寺だったそうです。三代将軍家光の代に今の姿に建造されたとか。
三猿。
有名な眠り猫。
よく分からないけど、すごく派手な仁王像。
思いがけず日光東照宮まで見ることができ大満足です。
久々に温泉旅館を満喫しました。
日本人でよかったと思う瞬間です。
しっかりリフレッシュさせてもらったので、慌ただしい年末年始を元気に乗り切りたいと思います。
ゴッホ展 〜人生を変えたふたつの時代〜
東京出張にきていた幼なじみのリクエストで、上野で開催中のゴッホ展に行ってきました。
【公式サイト】ゴッホ展 2019-2020 東京展と兵庫展を開催
平日でしたので身動きがとれないほどの混雑はありませんでしたが、多くの来場者で相変わらずの人気ぶりでした。
今回の展示は二部構成。
前半はオランダのハーグ派に影響をうけた時代。
後半はパリに移り住んでから先の時代。
サブタイトル「人生を変えたふたつの時代」は、ここに由来します。
ゴッホといえば連想するのは、
鮮やかな色彩。
歪んだ空間。
耳切事件やピストル自殺など、
センセーショナルな生涯。
そんな印象でしたが、こうしてみると初期の作品はほとんど知りませんでした。
今回の展示で印象に残ったのは、言い方が適切ではないかもしれませんが、あまりにコロコロと変わっていく画風でした。
★★★
画家になることをきめた当初に描いていたのは、ミレーのような農民たちの生活。静謐で暗く落ち着いた色調で描かれています。
≪ 農婦の頭部 ≫フィンセント・ファン・ゴッホ
1885年、ニューネン 油彩・カンヴァス
スコットランド・ナショナル・ギャラリー
© National Galleries of Scotland, photography by A Reeve
後半は弟テオの暮らすパリに転がり込み、そこで出会った印象派をはじめとする多くの画家の影響をうけていく時代。
油絵具を何度もかさねた花の絵があるかと思えば、一転して点描で描かれる風景画。
≪ アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口 ≫フィンセント・ファン・ゴッホ
1887年、パリ 油彩・カンヴァス
イスラエル博物館
Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Elie Posner
ゴッホらしいという意味では、南仏アルル地方に移ってから描かれた「麦畑」のなかでようやくそうした作品に出会えます。
≪ 麦畑 ≫フィンセント・ファン・ゴッホ
1888年6月、アルル 油彩・カンヴァス
P. & N. デ・ブール財団
© P. & N. de Boer Foundation
さらに、うねるような筆致へと変化する、今回の目玉展示「糸杉」へ。
≪ 糸杉 ≫フィンセント・ファン・ゴッホ
1889年6月、サン=レミ 油彩・カンヴァス
メトロポリタン美術館
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY
★★★
27歳で画家を志し、37歳という若さで亡くなるまで、その画業生活はわずか10年あまり。
それも、「ゴッホがゴッホらしい」作品を残したのは晩年の数年間のみです。
年表を追ってみると、あらためてその短さに驚かされます。そのなかでダイナミックに変化しつづけた画風。
「絶えず生まれ変わるというということがあるのみ」
これは、青年時代に伝道師として行なっていた説教の中でゴッホがよく使っていた言葉だそうです。
意図していた訳ではないのでしょうが、その言葉通りの人生になりました。
「絶えず闇から光へと向かうことがあるのみ」。そして、闇から光へのこの変化を人生において自ら演じ、絵によって表現した。暗鬱なオランダに生まれ育った彼は、フランスに光を求めて南へ旅し、輝かしい夏の太陽のもとで死んだ。彼の芸術は闇に始まり、輝く光に終わった。闇自体が関心を惹いたのではない。むしろ、闇を通して射す光を求めようとする気持ちに駆られたのである。
自分は親から愛してもらえなかったという欠落感。それがゴッホ自身が持っていた精神病と相まってさまざまに形を変え、生涯彼を苦しめています。
誰よりも他人と親密であることを望んでいるのに、求める親密さが度を越しているため、人とうまく距離をとり心を通わすということができない。
そうした切望は、のちに画家たちの共同生活の場をつくりたいと念願したことにも表れています。
孤独であることをうけいれ乗り越えようとする反面、幼少期に手に入れられなかったものを自分は受けとるべきだと思い込み、とりわけ経済的にも献身的な援助をつづけていた弟テオにたいして時には強請りにちかい要求をするような噛み合わなさ。
その生涯を垣間見るだけでも息苦しくなります。
ただ、そうした愛憎がいりまじり、混沌としたなかでも描きつづけることはやめませんでした。
今回の展示では、これまでの「天才ゴッホ」という側面よりも、孤独、不遇、鬱と戦いつづけた一人の人間。それらを絵という表現のなかに昇華していった「人間ゴッホ」としての印象がつよく残りました。
★★★
余談ですが、わたしは美術館の音声ガイドが結構好きなのでよく利用します。
解説に徹したものはときに退屈ですが、今回は女優 杉咲花さんのナレーションとともに、テオ役の方がゴッホの書簡などをおりまぜながら物語仕立てで作られていて楽しめました。オススメです。
▷参考図書
〈本〉命を救った道具たち (高橋大輔著)
図書館で偶然みつけた本が面白かったのでメモしておきます。
著者は高橋大輔さん。
「んっ?…スケートの?」
本のタイトルとイメージがかみ合わないので気になり手にとってみました。
実は同姓同名の別人。
探検家・作家の高橋大輔さんでした。
「物語を旅する」をテーマに世界各地の神話や伝承を検証されています。過去には、ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡を発見した功績があるとか。
そもそも「職業=探検家」という人が存在することにビックリです。
人がモノにたいするこだわりを書いた文章はよくありますよね。私もそうしたエッセイを読むのが大好きです。
ただ、この本は少しそうしたものとはニュアンスが異なります。あとがきに「道具を主役にする探険記」とありましたがまさしくそんな印象です。
最初に紹介されているのはミニマグライト。
エッセイはこんな風にはじまります。
気がつけばわたしは、砂漠のど真ん中で六匹の野犬に囲まれていた。
1989年3月。徒歩とヒッチハイクでサハラ砂漠を縦断する旅の途中だ。
6匹vs一人。
どうみても、犬たちは獲物として筆者を見ています。痩せこけた犬たちが牙をむき襲いかかろうとした、そのとき…。
思わず引き込まれて一気に読んでしまいました。
便利とかお洒落とかではなく、あくまでも「命を守る」ための道具という視点が新鮮でした。
私にとっては、今後同じ状況におかれることがあるとは思えない(思いたくもない)ので、実用書としてというよりはひとつの冒険譚として楽しく読みました。
それでも、ダナーライトの靴とか、ナイジェル・ケイボーンのズボンとか、オスプレイソージョンのバックについて語られるのを読んでいるうちに、アウトドア用品のことなど何も知らない私でも何だかちょっと欲しくなったりしてしまいます。
唯一、著者と共通点があったのはシャワーキャップ。ホテルのアメニティーグッズで、唯一使わなくてももらってくるものです。私の場合は、花瓶などのホコリよけに使うのが主な目的ですが。
★★★
それにしても、こうした人たち(主に登山家とか動物写真家とか)が影響をうけたという本は、どうしてこうも似通っているのだろうと毎回思います。繰り返し同じタイトルを目にします。
たとえば、
「青春を山に賭けて」(植村直己著)
「宇宙からの帰還」(立花隆著)
「古代への情熱」(シュリーマン著)
など。
そして、同じ本を同じ頃に読んでいるのに、一度たりとも「よし、私も!」なんて気持ちにならなかったのはなぜだろうと、ぼんやり考えてしまいます。
「人は実現できない夢はみない」っていうひとがいるけれど、そういうことかもしれないなと思います。
ビビリな私には一生体験することのない世界ですが、そんな冒険を少しだけ味わったような気分にさせてくれる一冊です。
★★★
そして、冒頭のエピソードの結末が分からなくて落ち着かない方がいるといけないので、少しだけ続きを引用させていただきます。
(対抗できる武器などなにも持っていない筆者。何気なくポケットをまさぐるとミニマグライトが手に触れます。)
ひょっとすると、これなら何とかなるかもしれない。
わたしは一縷の望みを託した。
やがてリーダーらしき犬が鋭い牙をむき出しにして突進してきた。わたしはとっさにライトを点灯させ、光を犬の目に突っ込んだ。
すると奇跡が起こった。光のあまりの眩しさに犬は恐れをなしたのだ。一匹、二匹……。次々と背を向けて去っていった。
マグライトの光は向かうところ敵なしだった。もし持っていなければ、わたしは砂漠の露と消えてしまったに違いない。
東京とiPhoneとギックリ腰 (2019 マイブーム)
年末ということで、きわめて私的な今年の振り返りを続けています。
今年の大きな変化は、まずは東京で暮らすようになったこと。今更ながらのお上りさん生活を楽しんでいます。
これまでは、何か目的があればくることはあるけれどフラリとくるには遠い場所。「いつか行ってみたいなぁ」と後回しにしていた場所に気軽に行けるのは嬉しいことです。
ふたつめはiPhone購入。
「一生ガラケー」宣言をしていたアナログ派の私。夫の海外赴任により強制的に打ち切りになりました。
帰国後はじめてiPhoneを購入。
一気に生活が変わりました。
そうか、こんなに便利だったのか!!
食わず嫌い的なガンコな姿勢を反省。スロースターターながらも少しずつ使いこなせるよう細々と奮闘中。
そして、今年ははじめて五十肩とギックリ腰を経験。確実に体にガタがではじめた証拠です。
これまでの運動習慣がない生活のツケも出てきたんだろうと思っています。
★★★
そんなこんなの中での今年のマイブームを記録しておきます。
(2019 マイブームBest10)
1.江戸さんぽ
- 新しいものより古いものに惹かれる性質です。過去の史実が本当にここであったのだと感じられる瞬間が好きです。
2.◯◯市
3.クラフトビール飲み歩き
4.大相撲観戦
- 5月、9月と国技館に通いました。炎鵬関、盛り上がりましたね!御嶽海、しっかり!!
5.美術館、博物館めぐり
6.栗ごはんブーム
- 下処理が面倒で作ったことがなかった栗ごはん。今年はたくさん作りました。来年は渋皮煮もつくってみよう。
7.お酢ブーム
- 酢玉ねぎ、酢キャベツ、ひたし豆の酢漬け、ピクルスなど。酢を使った常備菜を日々研究中。
8.ナチュラルクリーニング
- とり入れられたこともあればダメだったことも。石けんシャンプーは挫折。まだまだ試行錯誤中。
9.下町グルメ食べ歩き
10.鍼灸接骨院通い
- 体の歪み、冷え、運動不足。それらが少しずつ不調を引き起こしていることに気づかされました。要改善。
そして、今の私のいちばんの仕事は夫が毎日気持ちよく過ごせるよう暮らしを整えること。毎日、一生懸命はたらいてくれる夫には心から感謝しています。
せめてお料理だけは頑張ろうと、今までよりも少しだけ手間暇かけてつくるよう心がけています。料理上手ではないですが作るのは好きです。
去年は身内の闘病や、義父の死も重なり大変な一年でした。こうして健康で日々穏やかに暮らせるということがどれだけ有り難いことか。そして、どれだけたくさんの人に支えてもらっているかを思い知った一年でした。
普通に過ごせることが当たり前ではないということを忘れずにいたいと思っています。
この年の瀬にいろいろなことを振り返りながら、また来年よいスタートがきれるよう準備していきたいと思います。
今年買ってよかったもの (2019 買い物編)
今年もいろいろな買い物をしました。
基本的にはモノを増やしたくない派です。
でも、生活を便利に豊かにしてくれるモノは少しずつ取り入れていきたいと思っています。
アンテナが高い人間ではないので珍しいものはありませんが、今年買ってよかったモノ、生活の質をあげてくれたモノたちの記録です。
1.スティック型掃除機
メリット
- 掃除機を出してくる手間がなくなった
- 立てかけるだけで充電できる
- ゴミ捨てが簡単
デメリット
- せまい隙間や角には届かない
いちいち物置から出してきてコードを引き出しコンセントにさす。この作業がなくなっただけでこんなにストレスフリーになるとは目からウロコでした。
いちばん大切にしたのは、操作性が軽いこと。店頭でいくつも試しましたが、重心が下にある方が軽く感じたのでエレクトロラックス社に決めました。
最終的にタタミも掃除できるということでこちらの機種にしましたが、もう一つ下位機種の方が自走機能があったりライトがついたりしていてよかったです。フローリングメインのお家にはそちらがおすすめです。
2.プルアウトボックス
メリット
- パッケージの主張がなくなるので色の統一感がでて嬉しい
- 取り出しやすい
- コスパがよい
安くて便利で文句のつけどころがありません。
3.体重体組成計
メリット
- スマホアプリと連動できるようになったので記録が残って楽しく計測できます
デメリット
- Bluetoothが少し面倒
ぽっちゃり体型の夫が東京にきてから電車通勤になり、少しずつ体重が落ちてきました。いよいよ70キロを切るのかというところまできたある寒い冬の朝、パンツ一枚で計測している執念には笑いました。だったらもう少しビールとご飯減らせばいいんじゃないの(苦笑)
4.パジャマ工房のパジャマ(春秋用)
メリット
- 肌触りがよく気持ちいい
デメリット
- 猛暑が長すぎて着れる時期が短い
5.パジャマ工房のパジャマ(夏用)
メリット
- 生地が秀逸。通気性がよい。
デメリット
- デザインがいまいち。
合理的なちきりんさん考案というパジャマを楽しみにしていました。残念ながら女性としてはかなり大柄な私でも、襟があきすぎ袖が長すぎでクーラーがない時期に使うには暑さを感じました。結局、夫にゆずり着てもらっています。
もう一つのデザインは、襟元のリボンが洗面の際など少し邪魔に感じます。パジャマにはデザイン性よりも快適さをもとめるので、もう少し改良されたら嬉しく思います。
ただし、それらを差し引いてもこの生地の気持ちよさには軍配です。どんなに暑い日でも肌にベタつかないため、とくにパンツはとても快適。来年はパンツだけ買って部屋着にしようか検討中です。
6.マワハンガー パンツシングルKH35
メリット
- パンツやストールは滑らずにかけられて便利
- 統一感があってキレイに収納できる
私はKH35の方が好きですが、ハンガーの向きがちがうKH35/Uの方が主流のようですね。品番がことなりますので購入される場合は注意が必要です。
7.マワハンガー エコノミック40
メリット
- 薄手のセーターやカーディガンはシルエットがくずれない
デメリット
- 取り外しが面倒
生地がすべらないという特徴が良くも悪くもでる商品です。ニットなどに肩だけ変なクセがつかないのはとっても重宝なのですが、シャツやカットソーなどはいちいち取り外しが面倒です。
8.ホイッスル(防災用)
墨田螺子産業 商品・限定販売ページ - 精密機械加工お任せください!
このあいだスカイツリーに行ったときに偶然みつけた一品。ちいさくて目立たないデザインなのも気に入っています。
真ちゅう製で、たったの8g。
家のカギと一緒にしています。
9.ラジオ(防災用)
メリット
- 防塵、防水にある程度対応している
- コンデンサ充電式
デメリット
- 手回し充電のハンドルは華奢で実用に耐えるのか心配
防災用ということを抜きにして、ときおりラジオを聴く日も増えました。なんだかノスタルジックで新鮮なのです。
10.消化器(防災用)
何年もどうしようかなぁと思いつつ見合わせていた消化器。先週、NHKの防災番組をみていてようやく踏ん切りがつきました。
「いつか」が「今日」かもしれないと思ったら…。もしもの時に自分で防げることだけでもしなくちゃね、と思って購入。
🔳まとめ
こうして並べてみると実用品が多いですね。
防災を強く意識するようになったのが今年の特徴かもしれません。
衣類は相変わらず迷走中です。
組み合わせしやすい無難なモノばかり無意識に買ってくるので、普段はなんにもいわない夫から珍しくコメントがありました。
夫 「最近選ぶモノって、すごく土みたいなのばっかりだよ。」
「…土?」
なるほどねぇ。思い当たります。
機能的とか無駄がないとかばかりを気にしていると、うるおいとか楽しむことを忘れているんでしょうね。気をつけないと。
暮らしをととのえる(2019 お金編)
今年の漢字が「令」に決まりましたね。
では、私個人にとっての今年の一字はというと「整」になるかもしれません。
今年は「暮らしをととのえる」こと。
なかでも、ほったらかしにしてきたお金の流れをととのえることをひとつのテーマにしてきました。
いちばんの理由は、やはり老後不安です。
50代に突入して将来的に体力のおとろえ、病気リスクの増大、経済的な不安をかかえる可能性があることも感じるようになりました。
それに加えて親の介護、家やお墓の問題などについても、それほど遠くない未来に考えねばならなくなるでしょう。
それらに対して漠然とした不安を抱えたまま生きるのではなく、できるところから準備をはじめようと決意しました。
といっても当たり前のことばかりです。
実際、今まで仕事をしていた時期は時間が自由にならず、平日銀行や役所に行くことすら大変なことでした。
今年は最初の一歩。
まだまだ不十分ではありますが、今年できたことを書きとめておきたいと思います。
🔳今年のとりくみ(お金編)
1.使用頻度のひくい銀行口座を解約
- 通帳が5冊→2冊に減。
- あらたにネット銀行を開設。
盗難や管理上のリスクを考えても数は少ない方がいいですよね。なにより気分がスッキリしました。
先日のニュースで、三菱UFJ銀行が今後新規開設する口座で2年間取引がないものは管理手数料をとることを検討すると報道されていました。今後は、こうした動きが広がっていくのかもしれません。
反面、今年はじめた楽天銀行では他行振込手数料は月に3件まで無料。楽天証券との連携サービスを利用すれば、普通預金の金利も0.1%になります。メガバンクの金利が0.001%であることを考えると大きな差になります。
ただし、ネット銀行はセキュリティー面での不安がつきまといます。難しいところですね。
2.クレジットカードを整理する
- 使用頻度の低いカード2社を解約
ほとんど使っていなかったイオンカードを解約したら、イオン銀行の残金が5千円ちかく振り込まれてきました。銀行が連動したカードであったことすら忘れていました。
毎年、数百億あるといわれる休眠口座も他人事ではありませんでした。反省です。
3.保険を見直す
- 私の医療保険を見直しました
火災・地震保険については、今後さらに値上げされることも決まっているようですね。我が家は義母の家と2軒分負担しているため金額もバカになりません。
ただ、災害リスクも高まっているため必要経費と考えこのまま継続する予定です。仕方ないですね。
4.FP3級試験に合格
久しぶりに試験勉強というものをしました。
難しい試験ではありませんが、苦手意識の強い分野なので苦労しました。基礎知識を身につけることができよかったと思っています。
試験後、見よう見まねで我が家のキャッシュフロー表やバランスシートも作ってみました。
現状と目指すべき目標を再認識することができたため、漠然とした不安からは解放されたように思います。
5.資産状況のわかる家計簿をつける
- 小口現金→家計簿アプリzaimで管理
- 資産管理→PCで管理
今年に入ってから、家計簿アプリzaimを使いはじめました。夫と同期しているためお互いに状況は把握しやすいのがメリットです。
ただし、メインとして使うほどには使い勝手がよくない(使いこなせないだけかもしれませんが)ので、途中から小口現金の管理用として使っています。
全体像はPC上で月次管理することにより把握しています。これまでの支出額のみ記帳する“つけっぱなし家計簿”から一歩改善できました。
6.iDeCo、NISAをはじめる
今年は我が家にとって投資元年です。
iDeCoは夫婦ともに、NISAはとりあえず主人だけはじめてみました。
私も仕事をはじめるつもりでしたのでiDeCoをはじめてみましたが、むしろNISAをはじめることが正解だったのかもしれません。
ちょうど今日のニュースでも税制改正で、またあらたな動きもあるようですね。
いずれにしても、まだ始めたばかりなので今後の動きをしばらく静観してみるつもりです。
7.おまけの取り組み
- エムアイ友の会積立(伊勢丹)をはじめる
- 宝くじ付き定期預金をはじめる
各デパートで独自に行なっている積立があります。そのデパートでしか使えないのがデメリットですが、その分利息分が大きいのが魅力です。
我が家ではいちばん金額の少ない5千円コースをはじめてみました。月に5千円ずつ積み立てると、一年で5千円分のボーナス(利息)が付与されます。
伊勢丹を選んだ理由は、我が家のある地方都市で一番使いやすいという理由だけです。各社で同じようなサービスがあります。
もう一つは、宝くじ付き定期預金。
私自身は宝くじの当選確率を考えれば無駄遣い!と思う夢のない性分ですが、夫の嗜好を尊重してはじめてみました。
利息はほとんどつきませんが、そのかわりに年に3回、銀行が代理で購入してくれるシステムです。これも地銀で同じようなサービスがあるようですね。
さて、結果はどうなることでしょう?
8.FPのアドバイスを受ける
こうして自分なりにお金の整理をつづけるなかで、プロのファイナンシャルプランナーの方ともご縁をつくることができました。
今は情報過多で、素人には判断のつかないことも多いと痛感しています。
ときには、いくつもある選択肢を選んでいく助言者として、こうした相談できる場所があるのは心強いと感じています。
🔳まとめ
お金のことをこうして声高に語るのは躊躇する気持ちもあります。
ただ、意外と何をしたらいいのか分からないという友人たちの声もよく聞きますので、不安に思いながらも悩んでいる人は多いのかもしれません。
私たちの世代は、親が銀行金利だけで十分資産を増やせた幸せな世代なので、よほど関心のある人ならともかく、そうしたことに対するきちんとした教育を受けずに来てしまったように思います。
執着するのではなく、足元の生活をしっかり整え、備えるべきものは備え、スッキリと暮らしていきたいと考えています。
(台湾映画)幸福路のチー
台湾映画「幸福路のチー」を観てきました。
🔳あらすじ
1975年、蒋介石が亡くなった日に生まれた女の子チーが主人公です。
台湾郊外に実在するという幸福路で育ち、学校では母語である台湾語ではなく中国語で教育を受けさせられます。その影響を受けた幼いチーが語る将来の夢は「偉大な人になること」。
成人したチーは新聞社でモーレツに働きます。その中で政局の混乱に巻き込まれたり、大地震で友人を亡くしたりすることが重なり疲れ果て、自由を求めてアメリカに渡ります。
その後、アメリカ人と結婚。その地で暮らし続けるチーに幼い頃可愛がってくれた祖母が亡くなったとの知らせが入ります。
久しぶりに帰国したチーの目に映ったのは、昔の面影がなくなった美しい街並。ただ、両親や知人の年老いた姿に時の経過を感じます。
ふるさとの地でかつてあった戒厳令、白色テロ、政変、台湾大地震等と時代が変遷する中で生きてきた自分の半生を振り返るチー。
あの日思い描いた未来に、私は今、立てているー?
子供のころ思い描いていた未来とはほど遠い自分、年老いた両親の姿、かつての旧友との再会。そのなかで、自分はどう生きていきたいのかを問い直していきます。
激動の台湾現代史が背景ですが、アニメという手法のため決して重苦しくはありません。
ひとりの女性の成長、挫折、苦悩、再出発という再生のものがたりが描かれています。
🔳映画に興味をもったきっかけ
数年前、はじめて台湾を訪れました。
ガイドブックを片手に台北の街を歩き回りました。食事はおいしいし、新旧織り交ぜたような活気のある街の様子はとても魅力的で、一度に台湾という国が好きになりました。
ある日総統府の見学に行こうと向かった際に、ちかくの広々とした公園を横切りました。ニニ八和平公園という名前でした。
ニニ八ってなに?
それが世界で一番ながい戒厳令の引き金になった事件の名前であることはあとから知りました。
夫が学生時代、はじめての海外旅行で台湾に立ち寄ったとき、空港には銃をもった軍人が普通に歩いていてびっくりしたという話しもこのことをきっかけにはじめて聞きました。戒厳令がそんなにも身近な出来事であることに驚きました。
子供のころ、教科書で学んだ戦争はもう遠い昔のことだと思っていました。
両親にも戦争の記憶はなく、身近に戦争を感じるのは祖父母の家に飾ってある軍服をきた遺影の写真くらい。
ただ、自分も50歳を超えてみて、それがさほど昔の話しではないことが実感として分かるようになりました。
そして、ここ数年アジアを旅行することが続くなかで、ベトナムやカンボジアでも同じような気持ちになったことを思い出します。
カンボジアでガイドをしてくれた現地男性は、キリング・フィールドに案内してくれたときに「自分のおじさんも真夜中に連れられて行かれたまま帰ってこなかった。自分は運がよかった。」と呟いた言葉を忘れられずにいます。
台湾の歴史も知れば知るほど激動の時代だったことが分かります。こんなに近くにある国なのに私はなにも知らずにいました。
この映画を見たいと思ったのは、ほぼ同世代といえる監督が、その時代を台湾という地で何を感じて過ごしていたのかを知りたいと思ったことがきっかけです。
🔳「自分のものがたり」として観る
ただ、こうした時代背景は事実ですが主題ではありません。
ソン・シンイン監督が描きたかったのは、ひとりの女性の物語。だれもが持っている個人的で普遍的なものがたりだと思います。
それは、あるインタビュー記事からも感じられます。
台湾でこの映画の宣伝をしていたときに、「この映画を台湾以外の人がみて理解できるの?」と聞かれました。
それに対して、「自分自身の個人的な体験や想いをしっかり作品に反映することができたら映画は普遍的なものになる。」と信じてきました。
とりまく時代や国に違いはありますが、人の心が感じる喜びや悲しみにはさほど違いはないと改めて思います。
映画の感想としては、個人的にはチーの両親の姿が心に残りました。
チーが作中で母親に向かって、「私はお母さんみたいになりたくないの。」と言い放つ場面があります。
貧しい中でその時代をただただ懸命に生き、いつもお金の心配ばかりしている母親。娘のために良かれと思っていても、娘にとっては古い価値観の中でしか考えられない母親に娘は苛立ちます。
状況は違っても、自分もかつて同じような言葉を投げつけたことを思い出します。
かつては庇護されるのが当たり前だと思っていた子供時代。親だって完璧であるはずがないのは今になれば分かります。精一杯の愛情をかけて育ててくれたことも。
今は他県に住む両親と会えるのは年に数回です。年を重ねるごとに両親が少しずつ年老いていくことを感じるのに、近くで暮らしてあげられないことを映画を見ながら複雑な気持ちで思いだしていました。
観る人の立場や状況により、いろいろな思いにさせられる映画だと思います。
誰もがだれのものでもない、自分だけのものがたりを歩んでいます。
キラキラしてはいないかもしれないけれど、一番大切な自分のものがたりをよそ見をせず、大切にしていきたいと思わせてくれる映画でした。
ブログの片隅にこうして記録しておくのも同じ気持ちなのかもしれませんね。
ローマ教皇訪日のニュースにふれて感じたこと
最初は「38年ぶりにローマ教皇来日」と聞いても特段興味をひくものではありませんでした。
ところが、行く先々で発信されるフランシスコ教皇の言葉がなぜだかとても心に沁みてくるのです。
久しぶりに血のかよった、人のあたたかい肉声を聞いたような気持ちがしました。
「国民のためにー」とか「皆さまのためにー」とかいう声高なものでなく、思いやりや慈しみという感情を一緒に受けとっているような気持ち。
政治的な指導者と宗教指導者を並べること自体が間違っているとは思いますが、人の上に立つ立場の人からこんなあたたかみを感じることが少ないだけになんだかびっくりしてしました。
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あるTV番組でイタリア在住の漫画家ヤマザキエリさんが教皇の人柄をあらわすエピソードを紹介されていました。
約13億人のローマ・カトリック教会の頂点にたつ教皇。
その存在は、たとえば政治の世界では教皇の発言にそわない政策は出しにくいほどの影響力をもつそうです。
歴代の教皇のなかでもフランシスコ教皇はとりわけ庶民的で親しみやすい人柄として知られているとか。
とにかく特別扱いされることを嫌い、いまでも靴下や下着を自分で買い物していている姿をパパラッチされたり、あの服装のまま食事をしていることもあるとか。飛行機もエコノミークラスにしか乗らないそうです。
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「私は、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。」
「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。」
宗教指導者が、明確な政治的メッセージを送ることにも驚きました。
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上智大学での講演のなかでは、「日本は効率性と秩序によって特徴づけられている。」と語られていました。
この言葉は、マザー・テレサが来日したときに語ったという言葉を連想させました。
「私が一番びっくりしたのは、日本のきれいさだ。街路、服装、自動車、何もかもきれい。しかし、もし、あのきれいな建物、家屋の中で親子の間の笑顔、夫婦間の思いやりがないとしたら、インドの貧しいながら、ぬくもりのある家族の方が幸せだ、と思う」
(「面倒だから、しよう」 渡辺和子著)
きれいなもの、無駄のないもの、効率のよいこと。そうしたものを手に入れるために、それについていかれない人や事をいつのまにか置き去りにしがちな空気を感じています。
そのゆとりのなさが結局自分にはね返って、今のような生きづらさや孤独感をかかえて生きる人の多い時代をつくってしまったのかもしれません。
私はカトリックの教義もよく知りませんが、ただこの数日、フランシスコ教皇の姿にとても心打たれました。
そして、今回の教皇の言動をみていて、こうした無力感や閉塞感と戦うすべを学んだようにも感じています。
誠実であろうとすること。
無関心でいないこと。
助けを必要としているひとに手をさしのべること。
当たり前のことばかりかもしれませんが、それをつづけることで自分の周りから、いつか世界がかわっていく連鎖がはじまるのかもしれません。
そして、結局それがいちばんの近道なのかもしれません。
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かなり長い引用になりますが、記憶にとどめておけるようここに教皇のことば残しておきたいと思います。
▷長崎でのメッセージから(抜粋)
人の心にある深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、最良の答えではありません。
軍備拡張競争は貴重な資源の無駄遣いです。世界では何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造や商いに財が費やされ、日ごとに武器は破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界を実現するには、すべての人の参加が必要です。一致団結しなくてはなりません。それは世界を覆う不信の流れを打ち壊す、相互の信頼に基づくものです。
今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません。兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。
核兵器のない世界が可能であり必要だという確信をもち、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない、そう心に刻んで下さい。
▷広島でのメッセージ(抜粋)
私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければいけないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、静かに祈るためです。私は、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。
戦争のために原子力を使うことは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。戦争目的での原子力の使用は倫理に反します。核兵器の所有も倫理に反します。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。真の平和のは、非武装の平和以外にありえません。
▷首相官邸での対談から(抜粋)
対話こそ人間にとって唯一ふさわしく、恒久的平和を保証しうる手段です。
核の問題は多国間のレベルで取り組むべきだと確信している。
(朝日新聞から引用)
▷上智大学での講演から(抜粋)
どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護するような人になってください。ことばと行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代においてとくに必要とされる誠実な人になってください。
(NHKニュースより引用)
朗読を楽しむ
先日、朗読のライブに行ってきました。
私は物語りを読むことも好きですが、
誰かが語ってくれるのを聴くのも大好きです。
今回訪れたのはこちら。
箏の顛末
旅する芸術家 | gusuto de piro|松浦このみ Official Blog
松浦このみさんの朗読と琴演奏のコラボです。
第二部は恩田陸さんの「かたつむり注意報」という構成でした。
古典は朗読といった手法ととても相性がいいように思います。耳から入ってくることばやリズムがとても美しく心地よくひびきます。
ちょうど今年は松尾芭蕉にゆかりのある土地で暮らすことになったこともあり、自分史上、一番芭蕉に縁のある年になりました。ハードルが高いですが、また原文でも読んでみたいと思います。
そして、後半の「かたつむり注意報」は圧巻でした。どちらかというと怪奇譚の要素がある作品なので、すこし不思議な世界観です。
異国の石畳みが敷かれた街の風景。
そこに彼ら(巨大なかたつむり)がひたひたと迫ってくる様子。戦火に焼かれて背中の殻が熱せられて弾けていく瞬間を眼前に見ているような気がしました。
それにしても、人間の想像力というのは不思議な力ですね。
よく視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といわれる五感の先に無意識という6番目の世界があるといわれます。
そして、仏教の教えでは更にその先に無意識の世界をつかさどる末那(まな)識、阿頼耶(あらや)識とよばれる世界があると聞いたことがあります。
その話しを思い出すたびに、私はヒマラヤの深い根雪のようなイメージを思い起こします。
過去世から行ってきたよい行いも悪い行いも、よい想念も悪い想念もすべて降り積もり根雪のように蓄積されている世界。
想像力というのもそうした引き出しから出てくるものなのでしょうか。自分の経験を超えたようなものを夢のように見るときにそんな思いがよぎります。
ライブが終わり一歩外に出ると、普段は訪れることのない渋谷の賑やかさが、また異世界のようでした。いつまでも余韻の残るライブでした。
レインボーブリッジを歩いてきました
秋晴れのお天気がつづく週末にレインボーブリッジを歩いてきました。
そもそもレインボーブリッジを歩いて渡れるということを最近まで知りませんでした。しかも無料なんですね。
このレインボーブリッジ遊歩道には、二大タワーのみえるノースルートとお台場方面を見渡せるサウスルートという2つのルートがあります。
今回はゆりかもめ芝浦ふ頭駅で降り、ノースルートを通ってお台場に向かうコースを歩いてみました。
駅をおりると、あちこちに案内も出ています。
芝浦ふ頭駅から5分ほど歩くと入り口をしめす看板が見えてきます。
レインボーブリッジを下からみるのも壮観。
なかなか見ることのないアングルです。
入り口で自転車の方たちが専用の台車を渡されてました。台車でタイヤを固定すれば押して歩くのはいいようです。でも、大変そうですね。
それでは、早速スタートです。
思ったよりも車道が近いので、大きな車が通ると少し怖かったです。排気ガスも若干気になりました。ただ、意外にもランナーの方も多くいらっしゃいました。確かに景色はサイコーですものね。
基本的に左側はフェンスで覆われていますが、ところどころに展望スポットがあり景観を楽しめるよう工夫されています。
展望スポットからの景色はこんな感じです。
左手には東京タワーが見えます。
正面にはスカイツリーも。
船も行き来しています。
景色が開放的で気持ちいいです。
距離は1.7キロ。およそ30分程度で歩けるコースです。
こうした構造物を間近でみるとすごい迫力ですね。夜にはライトアップもされますので、また違う楽しみがあります。
次回はサウスルートも歩いてみたいと思います。
オススメ散策コースです。
〈基本情報〉
▷営業時間
- 4月〜10月 9〜21時
- 11月〜3月 10時〜18時
▷休館日
- 第3月曜日(祝日の場合は翌日)
▷入場料
- 無料
✳︎現時点での情報です。HP等でもご確認くださいね。
週末に出会ったおいしいものたち
週末の3連休。
久しぶりにまち歩きを楽しんできました。
今回はこの週末に出会ったおいしいものをご紹介したいと思います。食べ終わったのにまたすぐに買いに行きたくなる、そんなお店でした。
🔳郡林堂(和菓子)
ひとつめは郡林堂の豆大福です。
手許にあるガイドブックには、このお店について次のように紹介されています。
「家族だけで営む小さな店。予約不可なので行列覚悟で。」
豆大福を買うのに行列?本当に?
半信半疑ながらも最寄駅である護国寺駅からしばらく歩いていくと、前方に行列ができている小さなお店があります。
ガラスケースの中には豆大福の他にも美味しそうな和菓子がたくさん。まさしく飛ぶように売れていきます。
いろいろ試してみたいけれど、店内には「保存料等は使用していないので本日中にお召し上がりください」との張り紙が。仕方がないので豆大福を2つだけ包んでもらいました。
まち歩きに疲れたところで一休み。
早速、いただいてみました。
「んっ!?本当においしい!」
ほどよい甘さの粒あん。持つと形が崩れそうなほど柔らかいもち生地。これでもかというほど入っている豆。
赤えんどう豆の塩味のせいか甘味が抑えられていてスイスイと食べられます。
普段、お饅頭のたぐいはひとつ食べれば十分ですが、「もう一個食べたい」と思える美味しさでした。
🔳VANER ヴァーネル(パン)
そしてもう一つは、谷中にあるパン屋さん。
VANER ヴァーネル
BSで放映されていた「パン旅」という番組のなかで紹介されていました。いつか行ってみたいと思っていたお店です。
こちらの店主さんがサワードゥの魅力に惹かれてノルウェーで修行、さらに各地で研鑽を重ねてからお店をだしたと番組では紹介されていました。
聞き慣れないサワードゥについては、お店のHPより引用させていただきます。
「サワードウとは?」
小麦から取った天然イーストと乳酸菌などを培養させた天然酵母を使ったパ ンで、最も原始的なパンの製法。 低温で長時間、酵母が活動することによって「味、消化のしやすさ、栄養面」 が秀でているとされる。 原材料は、基本的に小麦、塩、水のみで、発酵を通じて小麦本来の味を最大 限に引き出す。 発酵から出る酸味もその特徴のひとつ。
(HPより引用)
お店の雰囲気はこんな感じ。店主さんの了解をいただき撮らせてもらいました。
古民家を利用した店舗が集まる「あたり」というエリアにあります。開放的だけれど落ち着いた雰囲気がとても素敵です。
包んでくれる紙袋もさりげなくかわいい。
そして、サワードゥ。
つまみぐいしてから写真を撮り忘れたことに気づきました。(見苦しくてすみません)こちらはハーフサイズ。人の顔より大きなパンです。
ライ麦の酸味がほのかに感じられます。そして、特徴的なのはモチモチとした食感。パリパリとした皮は、また違った食味を味わえます。
そのまま食べても美味しいですし、翌朝オリーブオイルと塩で食べてもとても美味しかったです。
おいしいチーズやハム、ワインなんかとも相性がよさそうです。少し酸味の効いたパンが好きな方にはとてもオススメです。
お天気にも恵まれたのでよく歩きました。久しぶりに秋を感じることのできた週末でした。
そして何より、おいしいものは人を幸せにしてくれますね。
〈50代からのスマホ生活〉PrintSmashを使って写真プリントに挑戦
先週末、久しぶりに帰省してきました。
義母のお誘いで「食事を楽しみながら芸妓さんの踊りを観る」という珍しいイベントに参加してきました。
(半玉さんの躍り)
地方都市でもこうして頑張っている芸妓さんたちがいらっしゃるんですね。半玉さんの華やいだ衣装が鮮やかです。
義母へのお礼の手紙に添えて写真を同封することにしました。
そこで、コンビニのマルチプリンターでの写真プリントに挑戦です。
🔳アプリPrintSmashを使いました
今回使用したのはPrintSmashという名前のアプリです。
ファミリーマートとローソンのマルチプリンターで使うことができます。
このアプリのよいところは、インストールさえしておけば会員登録も必要ないところでしょうか。手軽に始めることができます。
🔳スマホを持っていくだけでプリント完了
前回、書類を印刷するときはUSBにデータを落としてから出かけましたが今回はその手間すら必要ありません。
スマホを片手に持ちコンビニに行くだけでOKです。
スマホに保存してある写真や文章をWi-Fi経由で印刷できるというシステムです。
すごい時代ですね。
使い方はこちらを参考になさってください。
コンビニでPrintSmash(プリントスマッシュ)/SHARP
🔳仕上がりは
今回はL判サイズで印刷してみました。
一枚30円です。ちょっと高い印象ですかね。
でも、とてもキレイな仕上がりです。
この頃は、家のプリンターで印刷した写真しかみていなかったのでキレイな仕上がりにちょっと感動しました。
最近はLINEでアルバムも共有できたりするので、写真を印刷するということが本当に少なくなりました。
子供の頃、カメラも自分でピントを合わせなければいけなくて苦労した気持ちを思い出しました。
こうして紙の写真をながめるのもなんだかあたたかい気持ちになります。
そういえば、手紙を書くなんていうのも久しぶりです。
ときには、そんな生活もいいですね。
〈本〉「紫匂う」 (葉室麟著)
長距離移動のおともに本棚から選んだ一冊。
久しぶりに再読したので感想を記しておきたいと思います。
「女子は刃で戦わずとも心映えで戦えましょう」
🔳あらすじ
寡黙で温厚な夫・蔵太とのあいだに二人の子も生し、平穏に暮らす主人公・澪。
その前にかつて一度だけ契りをかわした幼なじみの笙平が現れます。藩内抗争に巻き込まれ逃亡した笙平を匿う澪。
義と情の間で心が揺れながらも、自分が本当に生きるべき道を見つけていく女性のものがたりです。
🔳「木蓮のごとく咲く」夫・蔵太の生き方
剣の名手といわれている夫ですが、その日常はむしろ凡庸にもみえ物足りなさを覚えることもあった澪。その変わることない平凡さこそが夫の強さであったことに次第に気がついていきます。
・天の目
息子に俯瞰してものを見ることの大切さを説く場面です。
「ひとが〈天の目〉を持つには、自分が鳥になったと思えばよい。鳥になり、戦う相手と自分を空の上の方から見下ろすのだ。そうすれば自分が何をなさねばならぬのかが見えてくる」
「しかし、勝つことがすべてではない。〈天の目〉を持てば、無用な戦いが避けられ、さらには他勢に無勢で利がないおりは退いて命を全うすることができる」P88
・一息の抜き
笙平を匿い逃避行を続けるなか、蔵太がふと漏らす一言。ひとを追い詰めず、一呼吸置いて接するという蔵太の生き方が滲みでています。
「剣法に〈一息の抜き〉という教えがござる。何事も追い詰めてはならぬ、一息だけ、隙間を空けておいた方がよいとの諭しでござろうか」 P179
・木蓮のごとく咲く
若き日に人々の誤解から非難中傷をうけた日々。妻の点てた一服のお茶を喫しながら感じていた思いが静かに語られます。
「そなたは茶の支度をして、赤楽茶碗でわたしに茶を点ててくれた。茶を喫しながら木蓮を眺めたわたしは心が晴れていくような清々しい思いがした。ひとは得てして思い違いをするものだ。わたしにしてもひとを思い違えておるかもしれぬ。ひとに悪く思われ、陰口を利かれ、ときに罵られても、木蓮のごとくただ黙って静かに咲いておれば、その真はおのずと現れるのではなかろうか、などと考えた」P204
🔳命は預かりもの
藩の咎人である笙平を匿っている澪。その罪が問われることがあれば自らの命を差し出してでも、家族に類が及ぶのをさけるとの覚悟をのべる澪に擁護者・芳光院が語った言葉。
「言うまでもなかろう。そなたは子を生しておろう。そなたの命は母の慈しみで生きておる子らのものでもあろうし、そなたを思う亭主殿にもかけがえのないもののはずじゃ。いや、そなたに関わるすべての者にとって、そなたの命は大切じゃ。そなたが活ける花を楽しみにしておるわらわにとっても同じぞ。自らの命をおのれの思い通りにできると思うたら大間違いじゃ。そなたを大切に思うひとびとよりの預かり物と思わねばならぬ」P114
🔳おのれの心に問う
若き日に決着のつかなかった想いと未練。
そして、その相手を助けたいという情と義のあいだで揺れ動く澪。
藩内抗争に巻き込まれ笙平を助けるために夫と三人で逃避行を続けるなかで、澪は夫の本当の姿に気づいていきます。
それまでの平穏さがどれほど幸せな日々であったのか、夫の愛情がどれほど深かったのかをさとります。
それまでの迷いを夫にも打ち明けます。
「わたしにも迷いがあったように思います。どうすればひとは迷わずに生きられるのでしょうか」
「さようなことはわたしにもわからぬ。ただ、迷ったら、おのれの心に問うてみることだとわたしは思っている(中略)知恵を働かせようとすれば、迷いは深まるばかりだ。しかし、おのれにとってもっとも大切だと思うものを心は寸分違わず知っている、とわたしは信じておる」 P372
自分の心に問い直す澪。
そこではじめて人として正しいことをしているという信念をもつことができ、やがて自分の過去に対する非難に対しても毅然と立ち向かえる強さを身につけます。妻として、母として、女としての矜持をもち生きる澪の姿があります。
🔳読み終えて
代表作「蜩の記」にあるように、葉室作品の特徴は読み終わったあとの清々しさにあると思っています。
本作は女性が主人公ですが、自らの過去に決着をつけ、自分の拠って立つ場所に心をさだめ、毅然とたつまでに変化していく一人の女性の姿がこの作品の主題なのだと思います。
それが次の言葉で印象的に現れます。
女子は刃で戦わずとも心映えで戦えましょうP365
そしてもう一つ印象に残るのは、「心は寸分違わず知っている」という言葉。
自分の心をいつわらず見つめることは勇気のいることです。そこに至るまでには美しいものだけではない、自分の虚飾やおごり、ずるさや汚さにも向き合わねばなりません。
それを経てもなお清々しく生きられたらと思います。
いくつになっても修行ですね。
医療保険の見直しについて考えたこと
今年は家計を見直す年と決めています。
悩んでいた医療保険についても、ようやく結論を出すことができました。
保険の掛け替えにともない、自分が考えたことを記録しておきたいと思います。
🔳今まで加入していたのは県民共済のみ
民間の保険会社に加入していた時期もありますが、一時期経済的に大変だったこともあり解約。それ以来10年以上この保険一本できました。
こちらの一般的な加入コースは月掛金が2000円という安さです。保険に多くの保障を求めるひとには不向きかもしれませんが、医療保険は必要最低限の保障があれば十分という方には向いています。
たとえば、入院した場合には加入コースにより日額5000円、もしくは10000円の給付を受けることができます。民間の保険と同じレベルですよね。
さらに、共済というだけあって毎年の決算時に余剰分の割戻金があります。例年6000円から8000円程度が還付されたと記憶していますので、実質支払い額は年間2万円弱。家計に優しい保険です。
では、なぜ今回見直しをしようと思ったのか。
🔳見直そうと思った理由
ひとつだけ問題があるのは、保障年齢に制限があるということです。
人生100年時代といわれはじめた今、長生きがリスクにもなる時代だといわれています。
そうした状況のなかで、65歳を過ぎると保障金額が半分になり、さらには85歳で保障期間が終了という保険のままでいいのだろうかと考えたのが見直しのきっかけです。
平均寿命のほとんどをカバーできているし、その年齢までに十分な貯金をしておけば問題ないと考えるのか、病気や入院のリスクが高まる年代に保障がうすくなったり、なくなるのは不安と考えるのか。
それによって結論が変わってきますね。
🔳医療保険 不要派vs必要派
医療保険の見直しを考えるにあたり、いくつか関連の本を読んでみましたが、著者によって極端に意見がわかれているのに驚きました。
保険不要派の考え方
たとえば、保険はそもそも無駄であるとする考え方。
国の制度として健康保険や高額医療費制度があるのだから、用途が限定されてしまう保険は必要ないというのが主な理由です。
「貯蓄をするのが一番、『保険加入はお金を減らしやすい選択』です。」と訴えています。
結局、検討に値する保険は3種類だと思います。
- 自立していない子供がいる世帯主の死亡に一定期間備える保険
- 病気やケガで、長期間、仕事に就けない事態に備える保険
- 相続対策に利用する保険
▷「生命保険は『入るほど損」』」(後田 亨著/日本経済新聞出版社)
生命保険と医療保険という違いはありますが、考え方としては同じことでしょう。
保険必要派の考え方
もう一方で、「医療保険などいらない」というのは短絡的すぎるという意見もあります。
「医療保険はいらない」という人は、おそらく実際に出費となる医療費のことだけを取り上げて、理論を展開しているのではないでしょうか。
しかし、病気やけがで入院すると、かかるのは入院費の自己負担だけではありません。
▷「結婚したら知っておきたい保険の選び方 」(三田村 京著/総合法令出版株式会社)
例として、食事代、差額ベッド代(病院都合の場合もあるということで)、テレビカード代、家族の交通費、入院生活用品費、洗濯代等々をあげています。
そして、有訴者数(=病気やケガで自覚症状のある者)は全世代で女性の方が多いことから、女性はより必要度が高いとしています。
実際にどのくらいの費用が発生するかについて、こんな風に書かれた本もありました。
入院したときに掛かるお金は平均1万6004円、1万円以上かかるケースが合計で約6割を占める。
入院期間はどんどん短期化。90日以下が95%を占める。
▷「保険は三角にしなさい」 (保険マンモス×ダイヤモンド・ザイ編集部編/ダイヤモンド社)
🔳将来の不安を軽減するために準備できること
では、自分の場合はどうでしょう?
仮に老齢期といわれる世代になって入院したとき、貯金の残額がどんどん減っていくのをみてもそれほどストレスを感じず過ごせるだろうか?
そうならないために、どれだけ貯蓄すれば安心していられるのだろうか?
正直分かりません。
実際のところ、誰にも自分の健康リスクや寿命など分からないのですから難しいですね。
ただ、先のみえない不安を抱えたまま過ごすのは嫌なので、その不安を軽くするためにも生涯保障をえられる保険への掛け替えをしようと決心しました。
ただし、年齢とともに掛け金は高くなります。
ですから、私の場合は保険に全部を求めるのではなく、たとえば入院日額は5000円というように負担を一部軽減できるものから選ぶようにしました。
見直すことにより支出が増えることになりますが、ある程度の「安心」を得るために必要と考えています。
保険に限らないことですが、情報が多すぎて取捨選択するのが大変です。
今回の選択がベストチョイスなのかは分かりませんが、今までのように漫然と入っているだけではなく自分で納得した上で結論をだせたことはよかったと思っています。
これからも(長生きすることを前提として)、長寿が幸せだと思えるように、今からでもできることを整理しながら暮らしを整えていきたいと思います。