〈本〉わたしを離さないで (カズオ・イシグロ著)
今朝はイヤな夢をみて目がさめた。
母が亡くなったという夢。
とても近しい人が亡くなる夢をみることが時折ある。目がさめたときにものすごい悲しみと喪失感でぐったりしている。
実際には母は元気でいてくれて、久しぶりに電話をしてみたら今日も父とマレットゴルフにいくのだと楽しそうに話していた。
おそらくこの本がどこかで影響していたのかもしれない。
数年前、ノーベル文学賞を受賞したイシグロカズオさんの著書をはじめて読んでみました。
🔳あらすじ(ネタバレあり)
イギリスの全寮制での学校生活が、主人公キャシーの回想というかたちで語られていきます。
そこにあるのは友だちとの内緒話、いさかいや成長などどこにでもありそうな日常生活が静かな語り口で丹念に描かれています。
ただ、その世界がどこか奇妙にゆがんでいることに少しずつ気がつかされます。
たとえば、この子供たちには親がいないということ。週に一回という頻度で健康診断がおこなわれること。喫煙というのは犯罪に匹敵するという過剰な認識。
読みすすめるにつれ、この子供たちがクローン技術でつくられていること。いずれ臓器移植を提供するために存在していることが明かされていきます。
あらましだけきいていればホラーやサスペンスにでもなりそうだけれど、その事実を知ったうえでもこの小説の静けさはかわりません。
そこにいる子どもたちから感じるのが恐怖でもパニックでもなく、当然のことのように受け入れている諦観だからかもしれません。
あまりにも当然のように受け入れている。
ただ、それが本心ではないことが後半部分で明かされていきます。
🔳感想
読み終えても、自分がどう感じているのかもしばらく分からない作品でした。その世界観だけがながく印象に残っていました。
ただ、臓器移植を繰り返し亡くなっていくこと、それを小説の中では「使命を終えた」と表現していました。それが無性に悲しかった。
他に選択肢のない人生、
将来を夢みることすら出来ない人生、
それをいきるのはどんな気持ちだろう。
もう一方にいるのは、
自分の臓器をおそらく機械の部品を交換するかのように受けとる人たち。
提供する側にも感情や意志があるということを考えてない(考えたくない)人たち。
それでも、提供者としていきる彼らからは憎しみとか怒りという感情は伝わってきません。そもそも他に選択肢がないのだから。生きたいと叫ぶことすら出来ない。
ただ少し客観的にみると、これらの提供者が一方的な敗者ともいえません。
提供された側も一時的に彼らの力を借りて延命できるかもしれないけれど、いずれ訪れる寿命から逃れられるものはいない。
死ぬことだけは100%平等にだれにも遅かれ早かれやってくる。自分に受け入れる準備があろうとなかろうと。
そうであるならば、彼らとどれほどの差があるのだろうか。
臓器移植のために生かされているという特異な環境設定は、他の環境にもおきかえることができるようにも思えます。
たとえば戦時下での暮らしであったり、難民生活であったり、いじめや虐待であったり、闘病であったり。自分が望むと望まざるとおかれた場所。
人が生まれおちる環境は選べない。
そして、一人ひとりがかかえる問題も千差万別。
それでも、いくつもの生命があるなかで人間として生まれてきたというのは何か特別な意味があるように私は思っています。生まれただけで受けとっているギフト。
そして自分が存在する意味がよく分からなくても、自分がおかれた環境のなかで瞬間瞬間を精一杯いつくしんでいきること。そのなかで縁できた人たちを大切にしていくこと。
いまのところ、自分が死ぬときに後悔しないためには、これがすべてなのではないかと思っています。(すでにかかえている後悔もいっぱいあるけれど。)
そんなことをつらつらと考えさせられた小説でした。
それにしても、イシグロカズオさんがノーベル文学賞を受賞した際の受賞理由。何度読み返しても意味がわからない。
壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた
うーむ、わからない。