「居場所」について考える ショーンタンの世界展 (ちひろ美術館/東京)
先日、糸井重里さんがほぼ日のコラムの中で、この展覧会のことを紹介されていました。
なんだか一度みると忘れられない作品。
なぜだかとっても気になる。
ちょっと遠いけれど、週末思い切って行ってきました。
展示室に足を踏み入れた瞬間、まさにサブタイトルの「どこでもないどこかへ」へ連れてこられたような気持ちになりました。
彼の作品は、父親がマレーシアからオーストラリアに移住したという経歴が色濃く反映されているそうです。
とくに、難民について描かれた要素の強い作品「アライバル」は、最初は不思議な異空間にみえますが、言葉も文化もちがう場所に放り込まれたら世界がこういう風に見えるのだろうという説明をすんなり受け入れることができます。
人には自分のことを必要としてくれる居場所が必要だということ。
そういう場所がないと寂しくてたまらないということ。
そして、それと同じくらい自分が愛情を注げる存在が必要で、それが生きる支えになるということ。
どんなにひとりぼっちのような気がして、寂しくて辛いときでも少しだけ人のあたたかさに触れられたら、もう少しだけでも頑張ってみようと思えること。
とりとめもなく、いろんな感情が溢れてくる作品たちとの出会いがありました。
そういう気持ちをきちんと言葉に出来る人のコメントをお借りすると、「アライバル」の本の帯にあったこうした言葉になるのだと思います。
人が異文化に投げ込まれたときの違和感、ショックが、凄みを持って立ちあがる。そしてそこへ適応してゆく過程もまた、人は人への信頼感をなくしては生きていけないということと同質の真実味をもって、確かな力強さで描かれている。 (作家 湯本香樹実氏)
もう少しこの人の世界観をゆっくりと味わってみたくて、帰りに3冊も買ってきてしまいました。
本当はこの本も欲しかったけれど、今回は我慢。
これから、こんな企画もあるようです。
思い切って行ってよかった。
よい週末になりました。
(ちひろ美術館のカフェのテーブルに飾られていた小さな花が可愛いかったので。)