心地よい暮らし。

50代突入。夫と二人暮らし。心地よい暮らしを模索中。

十年日記の愉しみ

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🔳日記をつけてみたいけれど

昔は、日記をつけるということが苦手でした。

 

過去に何度も挑戦してきましたが、全く長続きしませんでした。あとから読み返すと気恥ずかしくなって処分してしまうのです。その時々に書き残した感情は、時間が経過していくとともになんだか腐敗していくかのようで耐えがたくなるのです。

 

書くということで気持ちを整理したり、吐き出したいようなときもあります。そうした時は、紙やノートにいっぱい聞いてもらって、すぐに処分する方が向いているような気がします。

 

いくら個人的なものだとしても、いつ誰の目に触れるか分からないような日記に自由に書くというのは私にとっては難しいことでした。

 

🔳つぎの挑戦は五年日記

そして、次に巡り合ったのは五年日記。

誰かが複数年の日記を書くと数年前の様子が思い出せて楽しいよといっているのを聞き、ちょっと羨ましくなりました。

 

それなら書く分量も少なくて続けられるかもしれない!

 

しかし、最初の決意とは裏腹にだんだんと空白の日々が増えていきます。その空白とともにモチベーションはどんどん下がっていきます。

 

何度おなじことを繰り返したことでしょう。だったら辞めればいいと思うのですが往生際が悪いのです。

 

🔳ささやかな日々を記録する楽しさ

ある時、義弟と話しをしていて日記の話題になったことがありました。

 

彼は、家族で五年日記をつけています。家族だれが書いてもいい公開家族日記なのだそうです。面白いですね。

 

その彼が話しの中で、「ささいなことを書くようにしているんです。」と言いました。その言葉が、ずっと印象に残っていました。

 

たしかに、大きな出来事やイベントは後になっても覚えている。でも、ささやかな日常って、そのまま忘れ去ってしまうことがほとんどです。

 

どんなことで笑ったり、どんなことで嬉しくなったということを書いておけたら素敵だなと思いました。

 

🔳そして、十年日記との出会い

再び日記熱がよみがえりました。46歳の誕生日を機に、懲りずに日記をつけることを決意しました。

 

数々の失敗から学び、地元のお店を4軒回って選んだのは小ぶりな十年日記でした。一日分の書くところは、たったこれだけです。

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日記の初日には、こう書いてありました。

この日記帳を選んだ理由は、「このスペースの小ささなら、三日坊主の私でも続くかも」。今日からスタートです。

 

よく自分のことを分かっています。苦笑。

 

ただし、日記帳というよりはほとんどメモです。

書かれていることのほとんどが、何があった。何をした。何を食べた。どこに行った。誰に会っただけ。ときには、社会や世界で起こった大きな事件やニュースなどもメモしておきます。

 

たったそれだけの小さなメモですが、それでも読み返すと、不思議とその時の様子や空気感を思い出せるのです。

 

やっと自分に合った方法を見つけられました。

 

そして、自分の記憶というのは案外頼りにならない、曖昧なものだということにも気づかされました。

 

🔳日記を書くということの効用

そうしてはじめた日記もすでに5年目に突入。ここまできたら続いていると言っても許されるのではと思って書いています。

 

書きたい日には物足りないほどですが、無理のないこの手軽だからこそ続いているのだと思っています。

 

そして、私のささやかな人生の中でも、思っても見なかったような出来事が起こってみたり、眠れないほど落ち込んだ日があっても、すでに過去のことになっていることに気づかされます。

 

生きてさえいれば、どんなに恥ずかしい失敗も、どんなに苦しかったことも昔のことになる。あとからその意味を変えて上書きすることさえ出来るということも実感できます。

 

こうして俯瞰してみることが出来るのが手書きの良さですね。

 

🔳唯一のデメリットは

唯一のデメリットは、長期不在のとき。

 

一週間くらいなら過去のことも思い出して書けますが、それ以上だとあとから書くのは面倒になるため大抵持っていくことにしています。

 

そうです、荷物が増えるのです。

仕方ないですね。

 

🔳そして、これからも

これから先も、平凡な毎日に見えて、意外と予想もしていなかったことに出会うのでしょう。

 

これからも、そんな日々を記録しながら、細々と楽しみながら続けていきたいと思います。