「すこし不便なこと」をまとめてかたづける儀式
先週は、じぶんイベント(=ひとりで勝手に行うイベント)として「不便なこと、面倒なことをまとめてかたづける!」をテーマにしてひとりで盛り上がっておりました。
たとえば、こんなこと。
- 包丁をとぐ
- 手紙を書く
- 取っ手のゆるんできた鍋の確認する
- クレジットカードを紛失した際の連絡先を登録する
- 病院に予約をする
- 穴のあいてしまったカーディガンを繕う
- つかっていない銀行口座を解約する
ひとつひとつは、とりかかればそんなに時間はかからないことがほとんどです。でも、「今忙しいから、あとでね。」といってあと回しにしてきたものばかり。
「病院に予約をする」も目的は検診のため。痛みがあるわけでもないのであと回しにしてきました。数カ月前から頭の片隅にあることです。電話一本かければすむことなのに。
「つかっていない銀行口座を解約する」にいたっては、数年前に口座開設したもの。一万円しか入っていません。予定していた使い道がなくなり解約しようと思うけれど、金額も少ないので行く気にもなれずほったらかしたまま。
さっさとやれば済むことばかり。分かってはいるのですが、面倒なことを先のばしにするクセがあります。
先日、ドミニック・ローホー著「シンプルに生きる」を読みましたが、その中に印象に残ることばがありました。
“何でも『儀式』と考えると良い習慣が身につく”
「儀式」という意識を持ってのぞむと、食事やなにげない会話、家事などにも、特別な意味を持たせることができます。
こうした生活の一こま一こまを、お決まりの「儀式」として捉え直してみるのです。
より良い生活を送るというのは習慣のなせる業です。そして良い習慣を築くためには儀式が有効です。儀式は日常の一こま一こまを特別なものにし、私たちの世界に別な次元を与え、満足感、神秘性、平安と秩序をもたらしてくれます。(P95)
それ以来、じぶんが不便だとおもっていること、そのうち片づけなければいけないと思っていることを気がついたときにメモしてきました。改めて見ると結構な数です。
「日々の習慣を儀式にする」という本の趣旨とは若干違いますが、こうした面倒ごとを自分の儀式として取り組んでみることにしました。
すると…。
ひとつ片づけると、「はい、つぎは何?」
リストを片づける達成感も手伝ってチャッチャと終わっていきます。なんだか、とってもすっきりした気持ち。そして、たのしい。
捨てようか悩んでいた穴の空いてしまった主人のカーディガン。カシミア素材でとてもあたたかかったので繕ってみました。出来栄えはまあまあですが喜んでくれているようなので、もうしばらくつかってみようと思います。
日々の雑用も、捉え直してみるとなかなか楽しいイベントになりました。ときおり企画して、暮らしのなかにある「すこし不便なこと」を一掃していきたいと思います。
それでは、また。