(江戸さんぽ)鬼平ゆかりの隅田川河口周辺を歩く
懲りずに猛暑の中をてくてく歩いています。
今回は、またまた鬼平にもゆかりのある隅田川河口周辺を歩いてまいりました。
🔳もんじゃストリートでもんじゃ焼きを楽しむ
まずは腹ごしらえ。
やってきたのは月島。通称もんじゃストリートです。
この通りは道路の両脇にもんじゃ焼き屋さんが立ち並んでいます。壮観です。
こんなに暑いのに鉄板焼きはいかがなものかとも思うのですが、これだけ並んでいるとやっぱりもんじゃ焼き一択です。
今回は、こちらのいろは本店へ。
ちょうど、12時の開店とともに滑り込みましたがすぐに満席です。
今日は豚もんじゃとチーズもんじゃをオーダーしてみました。結構なボリュームです。
写真はチーズもんじゃ。
ちなみに、こんなおトク情報を見つけました。食べる前に知りたかった…。
もんじゃストリートの壱番街の端っこにある月島もんじゃ振興会協同組合で入手できます。
🔳佃小橋から住吉神社周辺へ
まずは、佃公園脇にある佃小橋に向かいます。佃公園側から見ると、赤い小さな佃小橋の後ろに高層マンションが立ち並ぶ風景が見られます。
ここに限らず、この町を歩いているとタワーマンションと昭和レトロな住宅地や路地が混じり合い共存しているのが不思議な光景です。
🔳土地の変遷を知る
今は高層マンションの立ち並ぶ石川島は、寛永年間(1624〜1643)にこの地を拝領した石川大隅守(おおすみのかみ)名が由来になっているそうです。
その後に、鬼平こと長谷川平蔵が無宿(家のない)のための人足寄場を設立したことで有名です。
その後、嘉永6年(1853)に水戸藩主徳川斉昭がこの地に洋式造船所を開設。近代に入ってからこの場所に石川島造船所が作られました。さらに、戦後になってから播磨造船所と合併して石川島播磨重工へと変遷をとげていきます。
造船所が不振になってから三井不動産に売却され、今のようなタワーマンションが立ち並ぶ景観へと変貌したそうです。
めまぐるしい変遷ですね。
▷参考 「決定版 江戸散歩」(山本博文著)
🔳住吉神社から石川島灯台跡へ
まずは、住吉神社へ向かいます。
江戸時代、徳川家康に呼ばれ摂津国佃村(佃島の名前の由来にもなる)からやってきた漁民。そして、ともにやってきた神職により摂津国の住吉神社を分神霊して建立されたのがこの神社です。
思ったよりもこじんまりとした風情です。
住吉神社を後にして隅田川沿いに出ると、まさにウォーターフロント。開放的な風景が眼前に広がります。
右手にしばらく行くと、かつて佃島の漁師たちが頼りにしたという石川島灯台跡が見えてきます。
🔳鬼平と人足寄場
この辺りから先が、鬼平こと長谷川平蔵が人足寄場を作ったところと思われます。
当時、無宿(家のない)が江戸にあふれ治安も悪化。そうした中で、無宿人を受け入れ更生させようとした、いわば授産施設が作られました。
人足寄場では幕府の支援を受け、仕事を与えて手に職をつけさせ、当時庶民に人気のあった心学を教えることで無宿の更生を促し、犯罪の芽を積んでいく効果が得られていたようです。
▷参考 「決定版 江戸散歩」(山本博文著)
🔳中央大橋から霊岸島水位観測所、江戸湊発祥の地碑へ
さらに隅田川沿いを進むと、美しい中央大橋が見えてきます。フランスのデザイン会社が設計したとのことですが、確かに優美なデザインです。
川向こうには、霊岸島水位観測所が見えます。こちらは不思議なデザインです。
明治6年(1873)に設置され、平均海面を標高0メートルと定めた日本の標高の基準となった場所だそうです。
近寄ると、こんな感じ。
さらに少し先に行くと金色の錨のオブジェがあらわれます。「江戸湊発祥の地」碑です。
昭和11年(1936)に竹芝ふ頭が完成するまで、この地が東京の中央港として栄えていたそうです。
🔳南高橋から鉄砲洲神社
こちらは関東大震災の復興行事として架けられたトラス橋ということですが少し無骨な印象です。
橋を越えてもうしばらく行くと、広重の名所江戸百景にも描かれた鉄砲洲稲荷神社があります。
境内には、二宮尊徳の像も。今の若い子は、名前も知らないかも知れませんね。
🔳築地本願寺カフェで一休み
いつのまにか築地界隈まで歩いていました。
あんまり暑いので、築地本願寺のカフェで一休み。生き返ります。
今日の散歩はここで終了。
隅田川テラスと呼ばれる隅田川川沿いの遊歩道は、開放的でとても風景の美しい場所でした。夏が過ぎたら、ゆっくり散策してみたいと思います。