「実家のかたづけ」という仕事
かつてない大型連休とさわがれた今年のゴールデンウィーク。
我が家にとっては、そんな華やかさとは縁遠く、
丸々3日は主人の実家の片づけについやし、
遠方から遊びに来た妹家族を出迎え、
その合間に新元号「令和」をお祝い気分で迎えているうちにあっという間に通り過ぎていきました。
それにしても、しみじみと思ったのは「実家のかたづけ」の大変さ。
本人も持っていることすら忘れている納戸に詰め込まれたの不用品の山。
お取り寄せしたあげく、使い切れずに賞費期限切れになっている食品の数々。
買ったことを忘れて再び買い込み、あちこちから同じものがでてくるむなしさ。
しまい込まれたまま使われることのない贈答品の数々。
さらに、趣味にまつわるモノの多さは予想以上でした。
昨年亡くなった義父は多趣味なひとでした。
私が知っているだけでも、陶芸、サンドブラスト、写真、七宝焼き、彫金など。
壺やら茶碗やらグラスが納戸から屋根裏から続々とでてきます。
それらの処分を決めたはいいものの、作品だけでなくそれに伴う工具、機械類、材料、資料の膨大さ。
くりかえし地域の処分場に車で運び込む私たちに、「業務用ではないですよね?」と確認される始末です。
モノをつくる楽しみは私にもよく分かります。
そして、どんな作品でもじぶんがつくったモノは愛着がありうれしいものです。
でも、身も蓋もないいい方をしてしまえば、たいてい出来上がった作品は他人にとってみればガラクタでしかありません。
とくに形の残る趣味については、モノを「つくるという過程」を楽しんだらよしとするというくらいな気持ちでないといけない。
自戒を込めてそう思いました。
それでも救いなのは義母の在り方です。
80歳を超え、近所でひとり暮らしをつづけてくれている義母。
今回のように大規模な片づけは、義母の希望ではありますが、反面、モノを捨てたり処分する意識は低い世代でもあります。どんなことでも素直に聞き入れ、感謝してくれる姿には学ぶことも多いです。
今回、暮らしを整理する習慣はやっぱり大切とあらためて実感しました。
自分の暮らしも日々点検していきたいと思います。