〈本〉一汁一菜でよいという提案
■凝った料理は特別な日に作ればよく、日常ではできる範囲でよい。無理なく、飽きずに続けられる「一汁一菜というスタイルでもよい」というのが料理研究家 土井善晴さんの提案です。
・暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
それには一汁一菜です。一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。(P9)
■料理研究家という肩書きの方が「一汁一菜でもいいんだ」といってくれていることに説得力があります。
丁寧に出汁をひくことがきちんとした暮らしであり、できればそうすることが理想的だと思ってきました。ですから、出汁パックやほん○○を使うときは、毎回自分のなかでちいさな罪悪感を感じながら使っていました。
それなのに、それすらもなくてもいい。味噌を溶くだけでも、それなりにおいしく出来ると言いきってくれる潔さに驚かされます。
■それよりも、調理のときに気にかけなければいけないのは五感を使うことのようです。
・情緒的なものは、静かなところに現れます。調理中の小さな変化によく気を配ると、音や色、匂い、感触といったものに忍ばせて、伝えてくれているのがわかります。食材という自然に逆らうことなく、自然に添うように、(強引ではない、無理なく)進めることで、雑味のないきれいな味が生まれます 。食材を傷つけぬようにすること、食材の気持ち良さそうな表情を感じ取ること。澄む、きれいといった心地よさの中に、その正しさの証はあるのです。静かにしているとハッと心映えする瞬間が、調理の途中にはいくつもあります。お料理するとき「いいなあ」と思う心を、調理の道標にして下さい。(P106)
■この本を読んで共感したところは以下の通りです。
・食材を通して多くの人や自然と関わっていることがわかるでしょう。目で見て手で触れて料理することで、人間はその根本にあるものと直接つながることができるのです。
頭ではわからないことも、手が触れるという行為を通じて、感じているのです。身体で感じていることを頭が邪魔することがありますが、しかし頭では無意味と思っているようなことでも、その一つ一つが貴重な経験になっています。(P45)
・食べるということは、とても大切なことだと思います。 いや、おそらく、だれもがすでにその身体でわかっていることだと思います。でも、インパクトの強い日常の雑事に追われて地球環境のことや子どもたちの未来といった大切なことをつい忘れて置き去りにするのと同じように、小事を気にして大切な問題は後回しにするのです。
地球環境のような世界の大問題をいくら心配したところで、それを解決する能力は一人の人間にはありません。一人では何もできないと諦めて、目先の楽しみに気を紛らわすことで誤魔化してしまいます。一人の人間とはそういう生き物なのでしょう。しかし、大きな問題に対して、私たちができることは何かと言うと「良き食事をする」ことです。(P47)